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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第145号       ’02−07−12★

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     しっかり喋ろう     

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●子育ての季節が終わったらしく、

 

カラスのわめき声が静まって、やれやれ。 近くにカシなど常緑の大木

が多く、たくさん巣くっているのです。 人を襲ったりは未だしないが、

ゴミを散らかし、糞を落とし、まことに行儀の悪い奴らで、

 

時には夜も啼き交わしている。 <闇夜の烏>、姿は見えないが、彼ら

<トリ目>じゃないのかね? それとも<寝言>の習性?  謎ですな。

 

 

どこから移って来た連中か、中にナマリのある奴がいて、普通「カァ!」

の<カ>にあるアクセントが何故か<ア>で、不自然。 ここに住む気

なら標準語で啼けよ、とでも言ってやらにゃ、、など思ってたら、

 

変な言葉遣いが流行るのは人間の世界だけではない、たちまち街のアチ

コチで「ヵア!」がこだまするようになりました。 悪貨が良貨を駆逐、、

 

*   *

 

ダーウィンがガラパゴス諸島で、フィンチなる鳥の嘴が島ごとに違った

形に発達していることに気付いた、、という話の中に、たしか啼き方も

違うとあったように思いますが、「ヵア!」も一種の方言か?

 

じゃ、東北のカラスと九州のが出会って、スムーズに通じ合えるのか?

国産カラスは、<駅前留学>せずに行って、アチラで通用するのかね?

 

つまらぬ空想を巡らしたものでしたが、その手がかりになりそうな例を

先日、TVで観ましたよ。 即ちカラス撃退の一策として、彼らの嫌う

<音>を用いる方法ですが、そのもとは何とシートンの<動物記>

 

にある、キャッスル・フランクの森のカラスの話。 シートンは科学的、

彼らの啼き方を楽譜?で文章に挿入しました。 それを<飾り>と見た

のは私の浅はかさ、ホンモノだったようで。 その音符通りの( ただし

カァ!ではなく、ボ!という感じの)コンピュータ合成音で

 

<集まれ!>とやると、東京のカラスが、たちまち何羽も集まって来る。

<警戒!>でさっと散る、、 それはもう、効果覿面。 音が<声>で

なくても良いらしいところが面白い。 つまり、

 

高さ、長さ、間隔などが一致すれば本能のアンテナには信号として届き、

超言語的に<意味>が通じるのでしょう。 シートンが採譜した信号は、

自然界のグローバル・デファクト・スタンダードだったのかも。

 

九官鳥みたいに物真似をするカラスもいるから、音色を聞き分ける力は

十分あるはず。 なら、サンプリングで「ボ!」を「カァ!」にすれば、

もっと自在に操縦できるのではあるまいか? それに比べ、

 

文明病で本能を失った人間は、互いに通じ合わせるだけでも容易でない。

言葉は、相手との隙間を埋め合わせる人工的ツール。 もともと不自然、

当然不便。 人間業のやむを得ないところです。

 

本能的交信力が残ってりゃ、リーダーは「ボ、ボォ!」でチームを一糸

乱れぬ行動に導けるのに、、 文明イコール進歩、じゃないことの一例。

 

豊かになったから人々が多様化した、と思うのは間違いで、実は<本質

的能力喪失>と<補強ツール不十分>の相乗的バラツキ、でしかないの

ではあるまいか。 そのバラツキ・チームを束ねて業績を挙げなくちゃ

ならないのだから、管理職さん、ご苦労が多いわけです。  

 

*   *   *

 

余談はともかく、カラスの分際でも啼き交わすのだから、人間が言葉を

交わさなかったらよほどオカシイ。 「はじめにことばあり、ことばは

神とともにあり、ことばは神なりき」<ヨハネ伝1・1> ですからな。

 

文字は知能が進化してからの発明、<はじめ>は音声言語に決まってる。

耳に届く<ことば>で情報を交換することが出来なかったら、、そりゃ

カラスにも劣る、でしょうな、、

 

それを何と、命のかかった作業でやってしまった、らしい。 東京女子

医大病院の心臓手術ミス。 6月末現在の報道では、人工心肺装置担当

のS医師が、装置の中での血液の循環が不調であることに気付いて、

 

脱血法を<落差式>から<陰圧吸引法>に切り替えたがその時、本人は

「手術チーム全体に声をかけた」そうだが、その声が小さく、<全体>

どころか主役の執刀医にすら伝わっていなかった、という。

 

   ほとんど信じがたいことですが、そう言ってでも繕わねばならぬ

   事情があるのかも。 しかし、ここでは記事に基づいて考えます。

 

そのため執刀医は、方式変更を認識せぬまま(3回も!)ポンプ回転数

を高めるように命じ、これがもとで装置に異常が発生し、被術者の脳に

血液が循環しなくなり、、という事故。 まことに不幸なことでした。

 

   PPAなら、万一に備え<装置>は正副2台で、としたでしょう。

   不調の装置をさらに狂わせるなんて、プロじゃありませんな。

 

TV映画<ER>の延長で想像するのみですが、手術は当然チーム作業。

<声を掛け合いながら>はいつものこと、に違いない。 なら、声が

 

「チーム全体に」伝わったか、の確認は習慣化されていたはず。 上の

素人じみた説明、私には頷けません。 いったい何を隠蔽してるんだ?

近頃すっかり疑い深くなっております。 それにしても、

 

声の<大きさ>は感覚的アナログ量、十分かどうかの認識には個人差が

つきまとう。 必要なのは確認方法の確立と実行、そして<伝わった>

というデジタル的事実。 しかも

 

寸秒を争う命がけ(は主に被術者の方ですが)の作業現場、複雑な確認

方法では役に立たない。 まず称呼復唱、また、鋭く目を配って互いに

頷き合う、、くらいはしていたろうが、それがカラス以下。 そのくせ

 

そのあとは、記録の改ざん、証拠の隠滅。 せっかくの頭脳を悪用して

ひたすら責任逃れを図り、逆らえない立場の人々を共犯に巻き込み、、、

仁術にほど遠い仕業でした。 医師試験に是非、F先生式人柄判定を!

 

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●音声言語としての日本語は

 

穏やかで美しい、と私は誇りに思っているが、それは<本来なら>の話。

若者の話す日本語がオカシイ、「もシェもシェ」や「おいシェー!」、、

など話題にされつつ、しかし改まる気配は無い。

 

商業主義の権化、俗世間に迎合するだけの民放は、状況悪化を積極推進。

数分ごとのCMにはドギツサや珍奇さばかり盛り込む。 改まるわけが

ありません。

 

公共放送NHKすら俗化傾向顕著。 アナウンサーの質も低下しました。

オカシイことに気付くたび、電話やファクスで意見具申したものですが、

くたびれもうけ、もう止めました。

 

 

口の開き方が小さいとか、顎の発達が不十分とか、、(38歳のS医師

は<若者>じゃなかろうし、写真では顎もシッカリしている、、)

 

日本語の劣化衰退には色々な原因が挙げられていますが、行き着く先は

結局<教育>。 みんなそう感じているから、でしょう、「声に出して

読みたい日本語」なる本が爆発的に売れた、と申します。

 

その著者、斉藤孝教授出演のTV番組を続けて二つ観たが、お説ご尤も。

「昔と比べ、子供の息が浅く、呼気が短い。 口を閉じさせ、鼻で深い

呼吸をさせるだけでも集中力が増す。 腰を入れて、力強い声を、、」

 

出せばストレス解放にもなるのは常識だが、学校も家庭も、そうシツケ

ないからキレル子も出るわけだ。 世の親御さんたちよ、子供たちには

音読を強いて下さい。 声が小さい! 発音が良くない! など注文を

付けましょう。 「もシェもシェ、、」や「おいシェー!」はその場で

言い直させましょう。 口答えなんかさせないこと。

 

*   *

 

じゃ、オマエはどうなんだ? ですか? 当家の4匹の子豚はちゃんと

しつけましたよ。 話す時にはオレの眼を見ろ、聞こえる返事をしろ、、

 

今はその作業を孫どもを対象に行なっております。 しかし当然のこと

ながら、接触の回数や時間が少ない。 で、<斉藤本>の遙か以前から、

(彼らの)気に入った本、たとえばハリポタでもシートンでも、の音読

に励むよう、勧めて来ました。 ついでに、本屋通いの楽しみも伝授。

 

それは<学童集団疎開>時代にまで遡るのですが、寺の本堂の雑居生活

では、僅かな荷物しか許されない。 持参の愛読書を無くされては困る

から、絶対に貸さない。 「その代わり、僕が読んで聞かせるよ、、」

 

で毎晩、就寝前のひととき、南洋一郎や木村荘十の作品を朗読したもの

でしたが、あれはまさに(第57号、国弘正雄先生式の)<只管音読>。

 

今は入れ歯のせいでずいぶん歯切れ悪くなってしまったけれど、奥歯に

ものが全然挟まらない話し方が身に着きました。 その実体験で色々な

効果を知っているだけに、我が子孫には、、と強いて来たことですが、

 

それが今<爆発的売れ行き>とは、ね。 著者が私でなかったのが残念、、

は冗談。 これで<爆発的>に音声日本語が改善されればスバラシイ!

 

早速、各医大の必修科目に、いや、それじゃ遅すぎる、義務教育科目に

<名文音読>を含めるべきですな。 声に出さなきゃ相手に聞こえない、

聞こえても明快でなければ分かってもらえない。 医術以前の基本技能。

 

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●しかしながら、

 

相手に聞こえれば、音声が明快ならば、必ず相手が了解するか、どうか。

たとえばもし、あなたの話したことが相手の関心や期待や予測の外だと、

 

「心ここにあらざれば、、聞けども聞こえず」。 ピント外れをいくら

<明快>に喋っても相手には<聞こえず>じまい、了解などあり得ない。

 

<伝えたい心>は大切だが、人間関係は Give and Take。 相手さんの

<聞く心>に沿う方が先です。 果たしてS医師、執刀医に必要な情報

を誤り無く Give しよう、という決意で守備位置に着いていたか?

 

仕事のコンビなら利害は一致、相手の心はほぼ掴めます。 それに沿う

ことが難しいとは思われない。 にも拘わらず正しく Give しなかった

S医師、よほどサービス精神に乏しい人なのでしょう。

 

とすると、それがもとになった小事件が、これまで何度か起きていたに

違いない。 多分、周知。 その問題人物に敢えて人工心肺装置を担当

させるのなら、、

 

そこから何が起きうるか、ざっと見当がつくでしょう。 色々想定して、

それらの発生を押さえるには、と手を打ったり、万が一そうなった場合

には、と対策を準備したりしておくべきでした。 即ちPPA。

 

 

利害が一致しない相手とのやり取りでは、もっと心を用い、もっと努力

して<測定>する必要があります。 それには質問が有効、訊けば何が

必要か答えてくれるでしょう。 そしてもちろん、

 

質問はロジックに沿った順序であった方が良いに決まってます。 即ち

Rational Process 的、ワーク・シートのこの欄の情報が要るのでは?

という見当の付け方なら、第一に外れにくい。 もし外れても、

 

質問したことによって互いの認識の違いが浮き彫りにされ、危険の未然

回避につながるかも知れません。 訊かれて気付く人もいるのですから。

 

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本能の欠損は宿命、なら知性の活用で補うのみ、と観念しましょう。

報道される不幸な事件はすべて他山の石、生かして自分を磨かにゃ。

カラスも学習能力で生き延び、勢力を増しているんですからな。

                         ■竹島元一■

 

    ■今週の<私の写真集から>は ★何かひと口★

 

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